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【記憶に残っている、あの日】13歳ある夏の日

 

皆様こんにちはウメさんです

 

 

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

 

 

 

19??年 夏休み

 

今に始まった事ではないが、両親と兄はこの家が嫌になったようだ。

家族の帰宅の気配はない。両親それぞれ実家に帰省でもしたのだろう。兄は友人宅にでも泊まり歩いても問題ない年齢だ。

 

もう一週間位前から雑種犬一匹と私で過ごしている。犬の世話の記憶は断片的にしか覚えていないので人に言える程の世話は出来ていなかったのだろう。

 

「そろそろまずいな」泥棒のように家中の戸棚や箪笥を漁り、やっと手に入れたそれは洋服の隙間にあった。

茶封筒の中には数万円。中学生の私は大金を見付けた喜びより「これで何日か生き延びれる」と安堵し、残された両親の煙草に火を付けた。

 

日々の食事は近所のコンビニにて購入。誰かに助けを呼ぶ状況かも分からず一日一日ただただ「隠さなければならない」「生きなきゃいけない」不安と恐怖の中、徐々に店員の視線が痛く感じ、自転車でコンビニを転々とする知恵をつけていく。

 

天気はすこぶる良くて、背中にじわっと染みていく汗、暑い。そのまま家から離れていく方法も場所も知らない。自転車を停めて、溜め息。

外から、家族でアイスを購入する楽しそうな4人の姿を眺めていると一人がこちらに寄って来る。「何しているの」と笑顔で話しかけてくる部員。「喉乾いたから。じゃまた明日」精一杯の”いつも通り”。

コンビニには誰もいないのにジュースのみを購入し帰宅。

 

「明日は試合か・・・」

 

部活の練習の記憶が抜けている。でも試合はあったので夏休み中に練習はあったはず。試合では、部員の飲み物を冷やす為に、売っている1ℓ氷を4袋持って行かなければならない。部員は試合場所まで自転車、保護者が車で氷を届けそのまま観客として見守る事が周りの基本的な流れであった。

私の保護者はいない。親戚や頼れる大人はいない。それでも氷当番はやってくる。断り方も知らず、顧問に相談もする事もなく自分で考える。

 

知り合いに会わないように、夜に家を出て氷4袋と昼に食べれなかった分と朝と昼分のパンを購入。「何処に持って行くの?手伝おうか?」知らない大人が声を掛けてくる。親切か不親切か分からない。

私は「お父さんがいるのでいらないです」と答える。それでもついてくる車。何故か家を知られたらまずいと思い、真っ直ぐ帰らずに色んな道を漕いで漕いで帰宅。

 

「アイスないな」がらんとしている冷凍庫へ氷を入れる。怖かったり、悲しかったりの感情なく夜中までぼーっとし自分の部屋で眠る。

 

朝、何も食べずに集合場所へ行く。氷だけだとすぐに溶けると思い保冷材も持って行く。部員は「自分で持って行くの!?」と驚いている。視線が辛い。溶けやすくて申し訳ない気持ちしかない。そんな中でも重い自転車を走らせ楽しく試合会場へ向かっていた覚えがある。坂道で皆笑っていた。

無事に試合中は冷やす事が出来き、いつもよりも溶けている氷に皆で触ったり他のチームの試合を見ながら涼んだり遊んだりしていた。気遣ってくれていたと思う。

 試合内容より、皆の飲み物を冷やせた事に安心し帰宅。

汚れた服を洗濯をする。誰もいない家、文句を言う人間はいない。毎度乾燥機を使う贅沢な気分。風呂は毎日止められていないか心配で温かいお湯が出る度にホッとしていた。

 

何週間も誰もいない夏休み。両親、兄、誰も私が夏休みの間一人で過ごして居た事を知らない。26歳ぐらいの時に両親に話したら言葉を失っていた。それぞれが必死だったから恨みはない。

そして模索し生きてはいける状況だと判断した為、未成年として助けを求めなければならない異常事態と気付けなかった。

今ならあの時の自分の必死に生に縋りつく焦りの底には、恐怖・不安・辛さ・悲しみと感情があったと思える。 世界がそこしか知らなかったから感情押し込めて過ごすしかなかった。頑張ったね、13歳の自分。

 

友達とも遊ばなくなってきた頃、あの触れない優しさは記憶に残っている。

あの時の部員全員にありがとう。 

 

 

 

今日 見てくれた方ありがとう

では 生きてまた次回に会いまっしょう