とっても短いおじいちゃんの話し【特攻】ウメさんが後悔している事
お米を一粒残すと話される戦争の話
これは真剣に聞いていなかった中学生の時のウメさんの記憶であり曖昧です
祖父は特攻予定前に熱にうなされ特攻できず
満州(中国)に行く事になり、再度特攻の話が出るが
右肩か左肩を撃たれ帰国
選ばれた特攻の同期は全員戦死、
そしてひとりだけ自分だけ残る罪悪感と泣いても戻ってこない
悔しさと「何で打たれてしまったのか」「何で一緒に死ねなかったのか」
皆様こんにちはウメさんです
この話をするきっかけは特になかったのですが
誰かの目にとまったら「戦争をするとこんな思いをする人が出るのか」と片隅にお邪魔させていただけたらと思います
約20年前に亡くなっており
祖父に対して、後悔と申し訳なさがあります
何故話をもっと聞かなかったのか、寄り添えなかったのか
当時の自分の状況的にも難しいものがあったけれど
この話だけを思い出すと「なんでかなぁ」と自分に対して思います
共感してくれる人もいなくて
泣いて話す気なくても溢れてきて
日本の為に「死にたかった」という祖父を不思議にみていた
子供の学校は戦争の話をちょくちょく授業でしてくれていて
捉え方が当時のウメさんより全然寄り添えていて
祖父に話したくなった
「生きていてくれたからひ孫がいます」「戦争を考えている子がいます」
「一緒に靖国参拝しようか?」
子供時代は楽しい経験も大切だけれども
家庭でも伝えて良かったとも思いました
たまたまウメさんは育児に【戦争】は含まれていなかったので
大人になってからの学びで、子供と一緒に学ばせてもらってます
ウメさんはビデオを2回ぐらい見たのを覚えている程度で
今の学習は全国的に保護者にアンケート毎年3回くらいあって
授業でも発表やら講演やらあって、ウメさんみたいなのが生まれないから安心
歴史は教える国、先生で変わる事も伝えているので学び方は本人次第と感じます
私は祖父に対して(戦争に関しては)後悔しか残っていないので
子供には「学べたからこそ○○を得た」と残せれたらいいと行動中
【福岡県から出来ている事、きっと学べていること何かを感じてくれていること】
福岡県・・・護国神社の参拝、高良大社、東郷神社、大刀洗平和記念館
長崎県・・・山王神社(長崎原爆により一本足鳥居、被爆クスノキ)
山口県・・・回天記念館
長崎の原爆は学校で行くのでまだ行ってません
子供がウメさんを案内してくれる予定にしています
(そっちの方が学んできてくれるような気がしまして)
何回か行って感じ方も年々変わるので
反抗期もあったりタイミングもあるので本人に、無理なく行けるようにします
行くまでの話しだったり、行った後の話だったり
何より子供が興味あるうちは吸収時期と思うので財布に優しく行動
ここ最近は制限がありますが経験に無駄はないからですね
自分には後悔の経験が、子供には未来ある経験になりますように
押しつけしすぎないっていうのが育児の難しい下限
では 生きて次回に会いまっしょう
今日 見てくれた方ありがとう