低賃金・重労働・人手不足・社会的底辺。それでも続けたかった仕事【無職になりました】
福岡県 秋月
皆様こんにちはウメさんです
お久しぶりすぎて・・・もう、これは故意ではないです(笑)
単純に毒親も育児も大変で体壊して踏んだり蹴ったりして・・・
なんなら、ブログできる様になったので良いのかな!( ´艸`)
いやいや、まだ辛い。泣ける~
大人になってから夢というか、やりたいことが見つかって
家族の協力もあって、半年ぐらいで実務者研修修了。
折角だからと介護福祉士の試験受けて、合格して、
次はケアマネなりたいって介護してました。
記憶の一瞬、一瞬だけ素に戻った時に笑って過ごせたらなぁと思って介護をしたい、落ち着けられる場所になれると目標に仕事【介護】をしてました。
病院で知識を得ながら、資格を取ってやっとスタートラインに立てて、退職して施設へ学び場所を変え、今後の目標を育児に合わせて考えていました。
仕事にのめり込み、過食症になったり、ネグレクトになりそうになったりしました。
仕事の緊張が解けて帰宅すると歩けなくなったり、杖をついていたり、薬は10錠ちかくなったり・・・。
この頑張りは間違っていると家族が教えてくれた。改善。
嬉しい事に患者・利用者から怒鳴られたことはなかった。叩かれそうになってキャッチとかハイタッチにして更に怒られそうになった時、皆が笑ってくれて助かった。
頑固な方が自分の誘導のみ反応して、共有するために試行錯誤して全部駄目で結局私だけになったけれどスタッフ皆で考えてくれた事が嬉しかった。
患者・利用者と凸凹ががっちりハマった時がとても嬉しかった。よっしゃー!
毒親だった家族に寄り添えた事は自分の苦しんだ分は無駄じゃなかったと思えた。
看護実習生の本日予定を無視する意味が分からなかったから頷いたり聞いてたりしてたら周りも乗ってきてくれて雰囲気が良くなった。
ひとりでどうにかしようとしたら周りを巻き込んで、変化していく事も楽しかった。
スタッフの愚痴を吐き出し聞き役してその人が、人達が最後は笑顔になって話し終了になっていくのが嬉しかった。
「誰でも出来る仕事」と言われ続けたし、自分も無資格スタートだったし、市から注意受けている人も施設も見て経験してきた中で介護が好きな人は全然いないと思っていた。けれど、
今考えると形は違えど優しい人が多かった。人手不足で行動できないという流れが大半。
好きなことを仕事にすることは天職だ。それが経験できた。それだけだ。
今日 見てくれた誰かありがとう
では 生きてまた次回に会いまっしょう